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不動産を始めたきっかけ

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①1998年、大学の説明会で僕は震えた

1998年、僕が18歳だった年のことです。当時、僕は医療系の道に進むことを考えていて、志望していた大学のオープンキャンパスに足を運びました。将来への期待に胸を膨らませて参加したその説明会で、僕は忘れられない衝撃的な事実を突きつけられることになります。

それは、日本の自殺者数がついに3万人を超えたという事実でした。ニュースや新聞で数字として見たことはあっても、実際に大学の説明会で、統計データとともに淡々と語られると、その重みはまったく違って感じられました。会場の空気が一瞬にして張り詰めたのを、今でもはっきりと覚えています。

しかも、その内訳を詳しく見ていくと、30代から50代という、本来なら働き盛りで家庭も社会的な立場も安定しているはずの世代で、自殺率が急激に増加していたのです。子どもがいて、家庭があって、会社での役職もあって、傍から見れば何不自由なく暮らしているように見える世代。そんな人たちが、なぜ自ら命を絶たなければならないのか。18歳の僕には、その光景がまったく想像できませんでした。

そして何より僕を震え上がらせたのは、その自殺の主な理由が「経済的な問題」だったということでした。病気でも、人間関係でもなく、お金。目に見えないはずのお金という存在が、人の命そのものを奪ってしまう。その事実を突きつけられたとき、僕は椅子に座ったまま、しばらく身動きが取れませんでした。

当時の僕にとって、日本という国は「豊かな国」というイメージそのものでした。バブルの記憶がまだ薄っすらと残る空気の中で育ち、テレビでは海外旅行や高級車のCMが流れ、身の回りには物が溢れていました。そんな環境で育った僕にとって、経済的に困窮して命を絶つ人がこれほど多くいるという現実は、自分の中の「当たり前」を根底から覆すものでした。

豊かなはずの国で、なぜお金の問題によって人の命が失われてしまうのか。18歳の僕には、その答えが見つかりませんでした。説明会が終わったあとも、その数字はずっと頭の中に残り続けました。友人たちと帰り道を歩きながら他愛のない話をしていても、ふとした瞬間にあの数字が頭をよぎる。そんな状態がしばらく続きました。

ただ、この事実を知ってしまった以上、見て見ぬふりをすることはできない。そんな強い危機感だけが、僕の胸に深く突き刺さり、その日から離れることはありませんでした。もし自分が、あるいは自分の大切な人が、いつか経済的な理由で追い詰められることがあったら。そう考えると、居ても立ってもいられないような気持ちになったのを覚えています。

②あの日からお金と真剣に向き合い始めた

思い返せば、僕が子どもだった頃は「日本は豊かな国なんだ」という漠然とした安心感の中で過ごしていました。給料は毎年上がっていくのが当たり前で、新しい物を買うことも、それほど特別なことではありませんでした。ところが高校生になる頃から、テレビや新聞、大人たちの会話の端々から「不景気」「リストラ」「日本の将来が不安」といった言葉が、当たり前のように耳に入ってくるようになっていました。

それでもその頃は、まだどこか他人事のように聞いていた気がします。自分の生活が直接脅かされるという実感は薄く、社会のニュースの一つとして受け流していました。

そして18歳のあの説明会での出来事をきっかけに、僕の中で何かがはっきりと切り替わりました。他人事だと思っていた「経済的な不安」は、決して遠い世界の話ではなく、自分自身の未来にも直結する現実の問題なのだと、腹の底から理解したのです。「自分の将来は、自分で何とかしなければならない」。誰かが助けてくれるのを待っているだけでは、経済的な理由で人生を狂わされてしまうかもしれない。そう強く自覚した瞬間でした。

とはいえ、当時の僕には具体的にどうすればいいのか、まったく見当がつきませんでした。お金について真剣に教えてくれる大人は、身近には一人もいませんでした。学校の授業では、方程式や年号は教わっても、お金の増やし方や守り方については誰も教えてくれません。家庭でも投資やお金の増やし方について語られることはほとんどなく、「貯金さえしていれば安心」という漠然とした価値観が主流でした。

相談できる相手もいない、教科書もない、ロールモデルもいない。そんな手探りの状態から、僕とお金との向き合い方が始まりました。書店に行けばお金に関する本は並んでいましたが、どれを信じればいいのか分からず、実際に手に取って読んでは自分なりに取捨選択していくしかありませんでした。

今振り返れば、この「誰も教えてくれない中でどう学ぶか」という経験こそが、後に僕が勉強会やコミュニティを大切にするようになった原点なのかもしれません。同じように悩みながら手探りで一歩を踏み出そうとしている人がいるなら、少しでもその道のりを短くしてあげたい。そんな思いが、今の活動の根っこにあります。

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③お金の不安は人の命を奪う。その事実を知った18歳の僕が歩んできた道

医療系の大学に進学した僕は、在学中、お金に関する本を手当たり次第に読み漁りました。家計管理の本、経済の仕組みを解説した本、資産形成の入門書。図書館に通っては同じ棚の本を片っ端から借り、僕の部屋の机には読みかけの本が何冊も積み上がっていました。そうして本を読み進めるうちに、次第に出会うようになったのが「投資」という言葉でした。

まず僕が最初に取り組んだのは、それまで無駄づかいが多かった自分の生活習慣と決別することでした。正直なところ、これが本当に大変でした。欲しかった物へ、深く考えずにお金を使ってしまう癖が染みついていて、変えるのは簡単なことではありませんでした。何度も誘惑に負けそうになりながらも、家計簿をつけ、支出を一つひとつ見直し、少しずつ「使う」から「貯める・増やす」へと意識を変えていきました。

そうして大学生のうちから株式投資を始め、少ない資金をコツコツと投じながら経験を積み、卒業する頃には200万円ほどの株式を保有するまでになっていました。学生の身でありながら、真剣にお金と向き合い続けた4年間だったと思います。

大学卒業後は病院に就職し、精神科の専門職として働き始めます。そして勤続2年目、2004年、24歳のときに不動産投資をスタートさせました。当時は不動産投資という言葉自体、周囲ではほとんど知られておらず、相談できる相手もいませんでした。「本当にこれでいいのか」という不安を抱えながらの、見切り発車のようなスタートでした。

最初に購入したのは、中古の区分ワンルームマンション。決して大きな物件ではありませんでしたが、僕にとっては人生で初めての不動産投資という大きな一歩でした。結果的にこの物件は純粋な利回り14%という素晴らしい成績を残してくれることになり、今も大切に保有し続けています。この最初の成功体験が、その後の大家人生を支える大きな自信になりました。

その後も、コツコツと物件を購入し、少しずつ規模を拡大してきました。もちろん順風満帆だったわけではなく、想定していた家賃が入らなかったり、修繕費が予想以上にかさんだり、入居者とのトラブルに頭を悩ませたりと、数え切れないほどの失敗も経験しています。そのたびに落ち込みながらも、なぜうまくいかなかったのかを一つひとつ分析し、次の物件選びや運営に活かすことを繰り返してきました。

その積み重ねの結果、現在では20室(そのうち16室はローンなし)を所有する大家となり、働かなくてもある程度資産が増え続けていく仕組みを手にすることができました。18歳のあの日の危機感から始まった僕の挑戦は、20年以上の歳月を経て、ようやく形になったのだと感じています。

振り返ってみると、最初の一室を購入したときの不安な気持ちは、今でも鮮明に思い出せます。売買契約書にサインをする手が少し震えていたことも覚えています。あの一歩を踏み出さなければ、今の自分はいなかったはずです。誰かに相談できなかったからこそ、自分の頭で考え、自分の判断で行動する力が鍛えられたのだとも思います

茶色の鞄を持ち歩く私。不動産投資を始めた時のイメージ

④福祉系大家さんの道

精神科の病院で働く中で、僕はもう一つの現実に直面しました。それは、障害を持つ方や高齢の方、生活保護を受けている方が部屋を借りようとすると、驚くほどハードルが高くなるという事実です。多くの大家さんや管理会社は、家賃の滞納や孤独死といったリスクを避けたいという理由から、こうした方々の入居を敬遠する傾向にあります。仕事柄、患者さんが退院後の住まい探しに苦労する姿を何度も目の当たりにしてきた僕にとって、この現実は決して他人事ではありませんでした。

実際、僕の物件に入居してくださっている方の多くは、身体や精神に障害を抱えていたり、低所得であったり、あるいは高齢であったりする方々です。もちろん、こうした方々を受け入れることには、家賃滞納のリスクや、緊急時の対応、孤独死のリスクなど、それなりの覚悟が求められることも事実です。

 

それでも、医療・福祉の現場で専門職として働いてきた経験があるからこそ、入居者一人ひとりの状況に寄り添いながら、安心して住まいを提供できる大家でありたいと考えてきました。今も福祉的な視点を大切にしながら、大家業を続けています。

不動産投資を始めてから、気づけばもう22年が経ちました。この間、僕は数えきれないほどの失敗を重ねてきました。想定外の空室、修繕トラブル、入居者との行き違い。そのたびに落ち込み、悩み、それでも立ち止まってはいられませんでした。失敗するたびにその原因をきちんと分析し、また新しいチャレンジへと踏み出す。その繰り返しの日々でした。

失敗を乗り越えたとき、人は一回りも二回りも成長できるのだと、僕自身の経験から強く実感しています。18歳のあの日、震えるような衝撃を受けた僕が、まさか22年後には20室を超える大家として、しかも福祉的な視点を持って賃貸経営を行うようになるとは、当時は想像もしていませんでした。

福祉と大家業を両立させるのは、決して楽なことばかりではありません。それでも、入居者さんから「ここを紹介してもらえて本当に助かりました」という言葉をいただくたびに、この道を選んで良かったと心から思います。お金の不安を抱える人を一人でも減らしたい、住まいで困る人を一人でも減らしたい。その両方の思いが、今の僕の活動を支えています。

もしあなたが、このチャレンジを通して「不動産投資家としてのスキル」を身につけることができたなら、あなた自身の人生も、そしてあなたが将来関わる入居者の人生も、きっと豊かなものに変えていけるはずです。そんな未来を想像しながら、僕は今日も活動を続けています。

ご縁があり、皆さまと各種セミナーや勉強会の場で共に学び合えることを、心から楽しみにしています。お金の不安で誰かの命が奪われることのない社会を目指して、これからも一歩ずつ歩んでいきたいと思います。

18歳のあの大学の説明会で震えた僕が、今こうして皆さまに自分の経験をお伝えできる立場になれたこと自体、不思議な巡り合わせだと感じています。これから不動産投資を始めようとしている方、すでに始めていて壁にぶつかっている方、どんな立場の方であっても、僕の失敗も成功も、包み隠さずお伝えしていきたいと思っています。一緒に、着実な一歩を積み重ねていきましょう。

私が不動産投資セミナーをしている様子
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